いつでも厄介なのはライバルモドキ
2005年1月31日 エッセイ昔から思うのですが、ライバルというか横並びの関係程、厄介なものはありません。
先輩後輩という型にはまっていて、それぞれがその立場を演じて、ルールを守れば、問題ないのです。
この先輩後輩関係は、居心地の良いものなのです。
尤も、僕の場合は体育会的なノリや関係が嫌いなので、必ずしも居心地が良いとは限らないのですが。
しかし、横並びの関係はどうでしょうか?
学生で言えば、同級生・同学年。
社会人で言えば、同期ということになるでしょう。
今、振り返ってみて、僕にはライバルというものがいた事がありません。
常に自分のライバルは自分でした。
自分が一番自分の力に近いからです。
でも、一応言うと、同学年でも尊敬や目標とする人は常にいました。
それは、学生時代の話。
社会人となった今は、どうでしょうか・・・。
同期程、不快な存在はいません。
友達でもないのに親しげに飲んだりしている同期たちを見ていると、僕には到底理解できない絆がそこにあるのに驚きます。
何なのでしょうか?
あの連帯感は?
僕が今まで、仕事をやめたいと思った瞬間には、必ず同期が絡んでいます。
仕事で失敗した時もやめたいとは思いませんでした。
むしろ、リベンジしたいと、思いました。
僕の社会人としてのこれからの道で、障害となるのは同期というライバルモドキなのでしょうか??
それならば、僕の採るべきスタンスは決まりました。
常にライバルは自分です。
そして、目標は、僕の視点から見た優秀な人です。
先輩後輩という型にはまっていて、それぞれがその立場を演じて、ルールを守れば、問題ないのです。
この先輩後輩関係は、居心地の良いものなのです。
尤も、僕の場合は体育会的なノリや関係が嫌いなので、必ずしも居心地が良いとは限らないのですが。
しかし、横並びの関係はどうでしょうか?
学生で言えば、同級生・同学年。
社会人で言えば、同期ということになるでしょう。
今、振り返ってみて、僕にはライバルというものがいた事がありません。
常に自分のライバルは自分でした。
自分が一番自分の力に近いからです。
でも、一応言うと、同学年でも尊敬や目標とする人は常にいました。
それは、学生時代の話。
社会人となった今は、どうでしょうか・・・。
同期程、不快な存在はいません。
友達でもないのに親しげに飲んだりしている同期たちを見ていると、僕には到底理解できない絆がそこにあるのに驚きます。
何なのでしょうか?
あの連帯感は?
僕が今まで、仕事をやめたいと思った瞬間には、必ず同期が絡んでいます。
仕事で失敗した時もやめたいとは思いませんでした。
むしろ、リベンジしたいと、思いました。
僕の社会人としてのこれからの道で、障害となるのは同期というライバルモドキなのでしょうか??
それならば、僕の採るべきスタンスは決まりました。
常にライバルは自分です。
そして、目標は、僕の視点から見た優秀な人です。
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