久々に詩論でも書きたいと思います。
僕にとって、詩は表現方法に過ぎません。
当たり前ですか?
でも、詩を書く時にある人は、自分の経験を身を削って創作します。
その人にとって詩は表現方法であると共に、日記でもあり、自伝でもあるのです。
しかし、僕の場合はあくまで表現方法に過ぎないというスタンスなのです。
つまり、詩の内容=僕の経験は必ずしも成り立たないということです。
言い換えれば、作品数が多い小説家と同じスタンスです。
作品が少ない小説家は、自伝的な内容のものしか書けないタイプなのではないでしょうか?
逆に作品が多い作家は、想像力・行動力(取材等)を駆使して、いるタイプであり、自分の経験していない世界のストーリーも創造することが可能なのです。
僕は不可域に存在する物事を僕というフィルターを通して、表現したいのです。
もう一度、言います。
詩の内容=僕の経験は必ずしも成り立たないということです。
ここでのポイントは、「必ずしも」ってところ。
そりゃ、自分の経験を書いた作品もありますよ。
詩だけで、僕という人間は解析できませんってことが言いたいだけなんですけどね。
一部の情報のみで人間性・その人物の噂等が作り上げられてしまう不快感を上手く表現した歌があります。
Janne Da Arcの「image or・・・」です。
追伸的日記
長電話って楽しい。
電話があれだけ嫌いだった自分が嘘のようです。
僕にとって、詩は表現方法に過ぎません。
当たり前ですか?
でも、詩を書く時にある人は、自分の経験を身を削って創作します。
その人にとって詩は表現方法であると共に、日記でもあり、自伝でもあるのです。
しかし、僕の場合はあくまで表現方法に過ぎないというスタンスなのです。
つまり、詩の内容=僕の経験は必ずしも成り立たないということです。
言い換えれば、作品数が多い小説家と同じスタンスです。
作品が少ない小説家は、自伝的な内容のものしか書けないタイプなのではないでしょうか?
逆に作品が多い作家は、想像力・行動力(取材等)を駆使して、いるタイプであり、自分の経験していない世界のストーリーも創造することが可能なのです。
僕は不可域に存在する物事を僕というフィルターを通して、表現したいのです。
もう一度、言います。
詩の内容=僕の経験は必ずしも成り立たないということです。
ここでのポイントは、「必ずしも」ってところ。
そりゃ、自分の経験を書いた作品もありますよ。
詩だけで、僕という人間は解析できませんってことが言いたいだけなんですけどね。
一部の情報のみで人間性・その人物の噂等が作り上げられてしまう不快感を上手く表現した歌があります。
Janne Da Arcの「image or・・・」です。
追伸的日記
長電話って楽しい。
電話があれだけ嫌いだった自分が嘘のようです。
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