梅雨までカウントダウン
2006年6月1日 エッセイあと、1週間もすれば梅雨入りですね。
今日も只管に徒然書きです。
色々なアーティストの詩を読んでいると、根底に流れる思想とかって、それ程に差異は無いということに気付く。
ただ、その表現の違いだけ。
偶然に似た作品が生まれても仕方がないこと。
しかし、例のW氏の絵画はひどいね。
あれじゃあ、100%に近い盗作。
弁解の余地もない。
音楽で言えば、曲と歌詞が激似!っていうような感じですね。
まあ、盗作に関連して、持論を書きます。
結構最近まで、僕は色々なアーティスト(ミュージシャンのみならず作家も含めて)の作品に触れることが怖かった。
何故なら、知らない内に「自分が触れたアーティストの表現方法をパクッてしまうのではないか?」と思ったから。
好きな人の表現方法って無意識に真似てしまいませんか?
でも、そんなこと恐れていたらダメなんですよね。
結局、人の創り出すものって創造者の経験に依存するから。
つまり、その人が経験した事や、感じてきた他の創造者の作品がその人の中で化学反応を起こして出来上がるものが作品であるから。(なんだか、グダグダな文章になってる)
まあ、「人は他の人の影響を受ける」という事です。
しかし、意図的に真似ようと言う悪意を感じる今回のW氏の例はアーティストとして卑劣であると僕は思います。
次の話題。
僕のブログの「追伸的日記」について。
これは以前にも書いたように中谷彰宏さんの「P.S.」の真似です。
ちなみに「P.S.」は「a postscript」の略です。
日本語でいう「追伸」です。
本来手紙で使うものをブログで使うところがポイント。
中谷さんのブログは「中谷レター」という名称であるから、「P.S.」を使うことがとても自然に感じます。
しかし、僕のブログは「EIJIレター」ではありません。
だから、「P.S.」ではなく、「追伸的日記」としています。
「追伸的日記」は中谷さんからヒントを得たEIJIオリジナルなのです。
追伸的日記
これからも時々、追伸的日記を書きます。
今日も只管に徒然書きです。
色々なアーティストの詩を読んでいると、根底に流れる思想とかって、それ程に差異は無いということに気付く。
ただ、その表現の違いだけ。
偶然に似た作品が生まれても仕方がないこと。
しかし、例のW氏の絵画はひどいね。
あれじゃあ、100%に近い盗作。
弁解の余地もない。
音楽で言えば、曲と歌詞が激似!っていうような感じですね。
まあ、盗作に関連して、持論を書きます。
結構最近まで、僕は色々なアーティスト(ミュージシャンのみならず作家も含めて)の作品に触れることが怖かった。
何故なら、知らない内に「自分が触れたアーティストの表現方法をパクッてしまうのではないか?」と思ったから。
好きな人の表現方法って無意識に真似てしまいませんか?
でも、そんなこと恐れていたらダメなんですよね。
結局、人の創り出すものって創造者の経験に依存するから。
つまり、その人が経験した事や、感じてきた他の創造者の作品がその人の中で化学反応を起こして出来上がるものが作品であるから。(なんだか、グダグダな文章になってる)
まあ、「人は他の人の影響を受ける」という事です。
しかし、意図的に真似ようと言う悪意を感じる今回のW氏の例はアーティストとして卑劣であると僕は思います。
次の話題。
僕のブログの「追伸的日記」について。
これは以前にも書いたように中谷彰宏さんの「P.S.」の真似です。
ちなみに「P.S.」は「a postscript」の略です。
日本語でいう「追伸」です。
本来手紙で使うものをブログで使うところがポイント。
中谷さんのブログは「中谷レター」という名称であるから、「P.S.」を使うことがとても自然に感じます。
しかし、僕のブログは「EIJIレター」ではありません。
だから、「P.S.」ではなく、「追伸的日記」としています。
「追伸的日記」は中谷さんからヒントを得たEIJIオリジナルなのです。
追伸的日記
これからも時々、追伸的日記を書きます。
コメント